東京地方裁判所 昭和40年(特わ)348号 判決 1974年5月30日
(被告人)
本店所在地
東京都荒川区町屋六丁目三四番四号
株式会社平和アルミ製作所
(右代表者代表取締役中條嘉)
(出席検察官)
河野博
目次
主文・・・・・・二〇〇
理由・・・・・・二〇〇
(罪となるべき事実)・・・・・・二〇〇
(証拠の標目)・・・・・・二〇一
(弁護人の主張に対する判断)・・・・・・二一二
第一 弁護人の主張・・・・・・二一二
一 被告人会社につき法人税ほ脱犯が成立するとの検察官の主張自体の不当性について・・・・・・二一二
(一) 検察官の簿外預金の帰属の主張と簿外在庫の確定の主張との関係・・・・・・二一二
(二) 架空仕入の態様・・・・・・二一三
(三) 検察官が簿外預金の帰属との関係で主張する架空仕入・・・・・・二一四
(四) 検察官が簿外在庫の確定との関係で主張する架空仕入・・・・・・二一四
(五) 結論(検察官の主張自体の不当性)・・・・・・二一四
二 検察官の簿外在庫の確定の主張について・・・・・・二一五
(一) 昭和三八年三月期首(同三七年三月期末)の棚卸に関する検察官の推計過程・・・・・・二一五
(二) 検察官の右推計に対する批判・・・・・・二一六
1 昭和三九年三月期のロス率(その前提としての歩留り率)の誤り・・・・・・二一六
2 昭和三八年三月期首に適用した誤り・・・・・・二一七
3 板橋工場分の在庫想定の誤り・・・・・・二一七
(三) 昭和三七年三月期首(同三六年三月期末)の棚卸の推計の誤り・・・・・・二一七
(四) 結論・・・・・・二一八
三 検察官の簿外在庫の帰属の主張について・・・・・・二一八
四 検察官の簿外預金の帰属の主張について・・・・・・二一九
五 未払金(未払事業税認定損)について・・・・・・二一九
第二 当裁判所の判断・・・・・・二二〇
一 被告人会社につき法人税ほ脱犯が成立するとの検察官の主張自体について・・・・・・二二〇
二 簿外在庫の確定について・・・・・・二二一
(一) 昭和三八年三月期首(同三七年三月期末)の棚卸に関する検察官の推計の合理性・・・・・・二二二
(二) 昭和三七年三月期首(同三六年三月期末)の棚卸に関する検察官の推計の合理性・・・・・・二二六
(三) 弁護人側の主張する棚卸確定方法(ロス率の主張)の合理性・・・・・・二二七
1 早川証言のロス率(生産高に対する一〇パーセントのロス)・・・・・・二二八
2 軍司計算書のロス率・・・・・・二二八
3 室町鑑定書のロス率・・・・・・二二九
三 簿外預金および簿外在庫の帰属について・・・・・・二三一
(一) 本件簿外預金および簿外在庫に関する中条嘉の供述・・・・・・二三二
1 戦前に取得したアルミ材料・・・・・・二三三
2 アルミの疎開・・・・・・二三三
3 戦後のアルミ購入・・・・・・二三三
4 被告人会社の設立・・・・・・二三三
5 経済安定本部の調査・・・・・・二三四
6 国税庁の査察・・・・・・二三四
7 伝票操作・・・・・・二三四
8 八郎からの引継ぎ預金・・・・・・二三五
9 本件簿外預金および簿外在庫の帰属・・・・・・二三五
(二) 右中条嘉の供述の件用性および本件簿外預金、簿外在庫の帰属・・・・・・二三五
1 戦前に取得したアルミ材料(二五〇トン)・・・・・・二三五
2 アルミの疎開・・・・・・二三六
3 戦後のアルミの購入(三五〇トンないし四〇〇トン)・・・・・・二三六
4 安本の調査・・・・・・二三七
5 昭和二三年三月期と同二六年三月期における被告人会社の預金および材料・・・・・・二三八
6 中条八郎、同嘉の個人資産の推移・・・・・・二四〇
7 八郎からの引継ぎ預金(合計五、三〇〇万円)・・・・・・二四二
8 伝票操作・・・・・・二四三
9 結論(本件簿外預金および簿外在庫の帰属)・・・・・・二四三
四 未払金(未払事業税認定損)について・・・・・・二四三
(法令の適用)・・・・・・二四四
別紙一 昭和三七年三月三一日現在修正貸借対照表・・・・・・二四五
別紙二 同三八年三月三一日現在修正貸借対照表・・・・・・二四六
別紙三 税額計算表・・・・・・二四七
別表四 昭和三七年三月期末における製品、半製品の公表と実際との倍率二・六五を二・五八に訂正する
ことにともなう棚卸関係計算表・・・・・・二四八
別紙五 個人資産推移明細表・・・・・・二五三
別紙六 未払金計算書・・・・・・二五五
主文
被告人会社を判示第一の事実につき罰金三〇〇万円に、判示第二の事実につき罰金二〇〇万円に各処する。
訴訟費用は全部被告人会社の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人会社は、東京都荒川区町屋六丁目三四番四号に本店をおき、各種金属プレス加工ならびにアルミニューム圧延、高圧ガス容器の製造等を営業目的とする資本金五、〇〇〇万円(昭和二二年一月三〇日設立当初一九五、〇〇〇円、その後数回の増資を経て昭和三四年三月一、一五五万円に、同三六年六月二、〇〇〇万円に、同三八年五月三、一四〇万円に、同三八年六月五、〇〇〇万円に順次増資したもの)の株式会社であるが、もと被告人会社の代表取締役として同会社の業務全般を統轄していた亡中條八郎(昭和四八年三月八日死去)およびもと同会社の常務取締役(右中條八郎死去により代表取締役に就任)として同会社の業務全般を統轄していた中條嘉は、共謀して、同会社の業務に関し法人税を免れようとくわだて、架空仕入を計上して簿外預金を蓄積する等の方法により所得を秘匿したうえ
第一 昭和三六年四月一日から同三七年三月三一日までの事業年度における被告人会社の実際所得金額が三〇、六八五、五七七円あったのにかかわらず、昭和三七年五月三一日東京都荒川区日暮里町七丁目四八三番地所在の所轄荒川税務署において、同税務署長に対し、所得金額が一七、四七八、二九七円でこれに対する法人税額が六、二八九、九六〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度の正規の法人税額一一、三〇八、七三〇円と右申告税額の差額五、〇一八、七七〇円を免れ
第二 昭和三七年四月一日から同三八年三月三一日までの事業年度における被告人会社の実際所得金額が三五、三一三、四一三円あったのにかかわらず、昭和三八年五月三一日前記所轄荒川税務署において、同税務署長に対し、所得金額が二四、三七〇、〇六四円でこれに対する法人税額が七、八三三、八五〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度の正規の法人税額一一、九八〇、八六〇円と右申告税額との差額四、一四七、〇一〇円を免れ
たものである。(右各所得および税額の計算は、別紙一ないし三のとおりである。)
(証拠の標目)(甲、乙は検察官の証拠請求の符号、押は当庁昭和四二年押二五八号のうちの符号。)
判示事実全般につき
一 中條八郎に対する大蔵事務官の質問てん末書(乙12)および同人の検察官に対する供述調書(乙3ないし8)
一 中條嘉に対する大蔵事務官の質問てん末書(甲一の2の41ないし43)および同人の検察官に対する供述調書(甲一の2の44ないし46)
一 登記官作成の登記簿謄本三通(甲一の1の12)
一 押収してある次の証拠物
1 自昭三六・四・一至昭三七・三・三一事業年度分の所得金額・法人税額の確定申告書一綴(押1)
2 自昭三七・四・一至昭三八・三・三一事業年度分の所得金額・法人税額の確定申告書一綴(押2)
簿外現金および簿外預金の存在につき
一 山崎弘作成の上申書(架空仕入について)(甲一の1の3)
一 大蔵事務官作成の次の書面
1 銀行調査てん末書(第一銀行尾久支店)(甲一の1の4)
2 右同(埼玉銀行)(甲一の1の5)
3 定期預金、通知預金綜合整理表(甲一の1の6)
4 公表決算外銀行預金残高明細表(甲一の1の31)
5 調査てん末書(甲一の4の15)
一 次の者作成の取引内容についての回答書
1 埼玉銀行板橋支店長高野金太郎(甲一の1の7)
2 埼玉銀行加須支店長細井広太郎(甲一の1の8)
3 第一銀行尾久支店意穴沢拓(甲一の1の9)
4 第一銀行浅草支店長武田滝藏(甲一の1の10)
5 三菱銀行三ノ輪支店意満永一太(甲一の1の11)
6 中央働託銀行新宿支店橋本安茂(甲一の1の12)
7 中央信用金庫尾久支店長市川守雄(甲一の1の13)
一 早川菊雄に対する大蔵事務官の質問てん末書(甲一の2の34)
一 中條嘉に対する大蔵事務官の質問てん末書(甲一の2の41ないし43)および同人の検察官に対する供述調書(甲一の2の45)
一 押収してある銀行勘定帳三冊(押518)
架空仕入(棚卸の確定および現金、預金、棚卸の帰属)につき
一 山崎弘作成の上申書(架空仕入について)(甲一の1の3)
一 大蔵事務官作成の架空仕入計算書(甲一の1の36)
一 別府滋樹作成の取引内容照会に対する回答書(甲一の1の47)
一 次の者に対する大蔵事務官の質問てん末書
1 手島本雄(甲一の2の1)
2 吉田勝彦(甲一の2の3ないし5)
3 早川菊雄(甲一の2の33)
一 次の者の検察官に対する供述調書
1 手島本雄(甲一の2の2)
2 吉田勝彦(甲一の2の7)
3 崔啓鎬(甲一の2の8)
4 山崎弘(甲一の2の23)
一 押収してある次の証拠物
1 昭和三五年度買原簿(板橋)一綴(押3)
2 昭和三六年度原材料仕入帳一綴(押8)
3 仕入帳(本社)一冊(押22)
棚卸の確定につき
一 第四ないし七回各公判調書中証人早川菊雄の各供述部分
一 第二二回公判調書中証人室町繁雄の供述部分(ただし、ロス率等について定説がない旨の供述部分のみ)
一 大蔵事務官作成の次の書面
1 本社より板橋工場への送り材料重量調(甲一の1の3738)
2 田端営業所公表外売上高計算書(甲一の1の4445)
一 検察官作成の照会書(甲一の1の50525456586164)
一 検察事務官作成の審査報告書(甲一の1の5962)
一 次の者作成の回答書
1 昭栄興業株式会社(甲一の1の49)
2 株式会社丸運事業主管支店営業部(甲一の1の51)
3 日本通運株式会社田端支店長芳野長夫(甲一の1の53)
4 山崎金属産業株式会社取締役社長山崎豊(甲一の1の55)
5 古河アルミ工業株式会社日光工場長青木圭太郎(甲一の1の57)
6 中島軽金属工業株式会社代表取締役中島晋(甲一の1の60)
7 三菱商事株式会社非鉄金属第二部長西俊吉(甲一の1の63)
一 次の者の検察官に対する供述調書
1 早坂正作(甲一の2の9)
2 向井金一(甲一の2の15)
3 簡文治(甲一の2の16)
4 駒沢吉則(甲一の2の17)
5 五十嵐吉雄(甲一の2の19)
6 中島祐次郎(甲一の2の22)
7 山崎弘(甲一の2の23ないし27)
8 早川菊雄(甲一の2の37ないし40。ただし37については二、三項のみ、38については二、五、六項のみ、39については二、三、四、九項のみ、40については二、四、五、七項のみ)
9 中條嘉(甲一の2の4445)
一 次の者に対する大蔵事務官の質問てん末書
1 早坂正作(甲一の2の10)
2 清水澄昭(甲一の2の14)
3 五十嵐吉雄(甲一の2の18)
4 中條嘉(甲一の2の43)
一 押収してある次の証拠物
1 自昭三六・四・一至昭三七・三・三一事業年度分の所得金額・法人税額の確定申告書一綴(押1)
2 自昭三七・四・一至昭三八・三・三一事業年度分の所得金額・法人税額の確定申告書一綴(押2)
3 昭和三五年度買原簿(板橋)一綴(押3)
4 昭和三六年度買原簿一綴(押4)
5 昭和三六年度原材料仕入帳一綴(押8)
6 昭和三七年度振替伝票一二綴(押12)
7 昭和三七年度売上伝票一二綴(押13)
8 自昭三五~三七受領書(板橋)六綴(押14)
9 納品書控(板橋)二一綴(押15)
10 貯蔵品在庫調表一綴(押16)
11 得意先元帳一冊(押19)
12 仕入帳(本社)一冊(押22)
13 決算資料三綴(押24)
14 在庫品調(三八年三月)二綴(押26)
15 売上集計表(三七年度)一綴(押29)
16 昭和三七年三月末本社在庫調一綴(押31)
17 仕入台帳一冊(押34)
18 売上帳五冊(押3537
19 未収工賃勘定帳一綴(押39)
20 仕入帳(平和アルミ口座分)一綴(押41)
21 製品歩留表一冊(押42)
22 決算原稿(在庫外)一袋(押44)
23 仕入帳(原材)(三九年度)一冊(押47)
24 売上帳(三九年度)一冊(押48)
25 仕入帳(三九年度)一冊(押49)
26 未収工賃勘定帳二枚(押50)
27 請求書二冊(押51)
28 受納品書(板橋)(三五、三六、三七年度)六綴(押53)
29 金銭出納帳三冊(押55)
30 在庫調(三八・三・三一)一袋(押56)
31 材料仕入帳(三八年度)一綴(押58)
32 材料請求書綴(三八・一〇~三九・三)一綴(押59)
33 アルミ屑伝票と題する納品書控二冊(押60)
34 昭和三五年度分の法人税の確定申告書一綴(押62)
35 売上材料関係数量一綴(押63)
36 品別売上仕入メモ一綴(押64)
37 仕入帳(板橋分)一冊(押65)
38 納品書一綴(押66)
39 納品書控一冊(押67)
40 右同(板橋工場分)二冊(押68)
41 諸表原稿綴一綴(押69)
42 決算資料一袋(押70)
43 三八年度分受入書一綴(押71)
44 三八年度分売上帳一冊(押72)
45 納品書(板橋工場分)二綴(押73)
46 材料仕入帳(板橋分)三冊(押74)
47 納品控(三九・四~四〇・三)四綴(押80)
48 受入書(三九・四~四〇・三)九綴(押81)
49 受納品書(三九・一〇~四〇・三)一綴(押82)
50 右同(昭栄分)(三九・一〇~四〇・三)一綴(押83)
51 売上帳一冊(押84)
52 現金出納簿一綴(押85)
53 現金出納帳一冊(押86)
現金、預金および棚卸の帰属につき
一 第二九回公判調書中証人根岸忠雄、同佐藤重雄の各供述部分
一 次の者の検察官に対する供述調書
1 中條八郎(乙3ないし5)
2 山崎弘(甲一の2の23)
3 早川菊雄(甲一の2の38ないし40。ただし、38については二、五、六項のみ、39については二、三、四、九項のみ、40については二、四、五、七項のみ)
4 中條嘉(甲一の2の44ないし46)
一 次の者に対する大蔵事務官の質問てん末書
1 中島祐次郎(甲一の4の1)
2 中條八郎(乙12)
3 中條嘉(甲一の2の41ないし43)
一 次の者作成の取引内容についての回答書
1 第一銀行尾久支店長穴沢拓(甲一の1の9)
2 三菱銀行三ノ輪支店長満永一太(甲一の1の11)
3 埼玉銀行板橋支店長高野金太郎(甲一の4の23)
4 三菱銀行駒込支店長長野茂(甲一の4の16)
一 第一銀行尾久支店長穴沢拓作成の預金名寄帳について(甲一の4の11)
一 大蔵事務官作成の調査てん末書(甲一の4の15)
一 押収してある次の証拠物
1 銀行勘定帳三冊(押518)
2 法人税決定決議書綴一綴(押52)
3 査察第六号株式会社平和アルミ製作所一綴(押88)
4 法人税誤謬訂正関係綴一綴(押89)
その他の勘定科目の金額につき(かっこ内の数字は別紙一、二の各修正貸借対照表の勘定科目の番号。)
一 登記官作成の登記簿謄本(甲一の1の12)(一の15、二の14)
一 次の者作成の取引内容照会に対する回答書
1 株式会社内村製作所取締役社意内村林(甲一の1の14)(一、二の4)
2 有限会社エムエス精機製作所杉山峯雄(甲一の1の15)(一、二の4)
3 (有)特殊鉸工業所永井源太郎(甲一の1の16)(二の4)
4 芙蓉義肢材料株式会社代表取締役島田守平(甲一の1の17)(一、二の4)
5 有限会社東陽社製作所代表取締役和田文夫(甲一の1の18)(一、二の4)
6 株式会社久留島製作所久留島実(甲一の1の20)(一、二の4)
7 鈴木工業株式会社代表取締役鈴木辰男(甲一の1の21)(一、二の4)
8 西正男(甲一の1の22)(一、二の4)
9 株式会社電研アルマイト代表取締役出川徳次郎(甲一の1の23)(一、二の34)
10 有限会社深海器物製作所代表取締役深海新一郎(甲一の1の24)(一、二の34)
11 千原工業(株)千原厳(甲一の1の25)(二の4)
12 (有)中和工業所中村正雄(甲一の1の26)(二の4)
13 株式会社三栄金属代表取締役石塚戸一(甲一の1の27)(一の4)
14 有限会社樋田商店樋田彰三(甲一の1の28)(一の4)
15 佐野工業株式会社専務取締役佐野富茂(甲一の1の29)(一、二の34)
16 大森勝利(甲一の1の30)(一、二の4)
一 大蔵事務官作成の次の書面
1 公表決算外受取手形明細表(甲一の1の32)(一、二の3)
2 公表決算外売掛金残高明細表(甲一の1の33)(一、二の4)
3 法人税額計算書(甲一の2の50)(一の26)
一 早川菊雄に対する大蔵事務官の次の質問てん末書
1 甲一の2の33(二の1228)
2 甲一の2の34(一の141518の1193435、二の20)
一 押収してある次の証拠物
1 自昭三六・四・一至昭三七・三・三一事業年度分の所得金額・法人税額の確定申告書一綴(押1)(一の14151718の118の2192128323334353637、二の22)
2 自昭三七・四・一至昭三八・三・三一事業年度分の所得金額・法人税額の確定申告書一綴(押2)(二の1418192022424344)
3 昭和三五年度買原簿(板橋)一綴(押3)(一の2532)
4 製造費内訳簿(三五年度)一綴(押6)(一の18の1192635、二の20)
5 昭和三六年度原材料仕入帳一綴(押8)(一の1125)
6 昭和三六年度製造経費帳一綴(押9)(一の1921、二の2022)
7 昭和三六年度一般管理費帳一綴(押10)(一の2647)
8 昭和三六年度補助簿一綴(押11)(一の18の1253235)
9 貯蔵品在庫調表一綴(押16)(二の3)
10 資産品帳(本社)土地、建物、構築物一冊(押17)(二の33)
11 銀行勘定帳二冊(押18)(一の14)
12 総勘定元帳一冊(押20)(二の33)
13 諸勘定内訳簿一冊(押21)(二の33)
14 一般管理費(帳)一冊(押23)(二の15)
15 都税領収書綴一綴(押25)(二の515)
16 国税関係領収証綴一綴(押27)(一の47)
17 代金取立手形通帳一冊(押36)(一の3、二の3)
18 売上帳四冊(押37)(一の34、二の4)
19 仕入帳(平和アルミ口座分)一綴(押41)(一、二の4)
(弁護人の主張に対する判断)(引用する証拠は、原則として、書証につき甲〇〇、乙〇〇、物証につき押〇〇、公判調書中の証人の供述部分につき証人何某供述〇〇回とのみ表示する。)
第一弁護人の主張
一 被告人会社につき法人税ほ脱犯が成立するとの検察官の主張自体の不当性について
(一) 検察官の簿外預金の帰属の主張と簿外在庫の確定の主張との関係
被告人会社につき法人税ほ脱犯が成立するとの検察官の主張は、本件簿外預金が被告人会社に帰属するとの主張および簿外在庫が確定しうるとの主張を基本的要素としている。しかも、右簿外預金の帰属の主張および簿外在庫の確定の主張は、架空仕入の主張と関連し、これを共通の要素とすることによって密接不可分に結びついている。すなわち、検察官は、被告人会社に甲一の1の36に記載された架空仕入があったと主張し、これを基礎として簿外預金の帰属を論じ、かつ簿外在庫の算定をしている。しかしながら、架空仕入には、次に述べるとおり、性質の異った二種類のものがあるので、まず検察官が本件において主張している架空仕入がいかなる性質のものであるかを検討してみる必要がある。なぜなら、検察官は、簿外預金の帰属および簿外在庫の確定を主張するにあたり、いずれの場合も同一の架空仕入を基礎としているのであるから、検察官の主張自体に理由があるためには、その主張する架空仕入がいずれの場合にも同じ性質をもったものでなければならず、もし簿外預金の帰属との関係で主張する架空仕入と、簿外在庫の確定との関係で主張するそれとが異るものである場合には、検察官の主張自体に矛盾、撞着があってもはや主張としての価値をもちえないからである。
そこで、以下、架空仕入の態様、検察官が簿外預金の帰属との関係で主張する架空仕入および簿外在庫の確定との関係で主張する架空仕入がそれぞれいかなる性質のものであるかを、順次検討する。
(二) 架空仕入の態様
架空仕入には、その性質上、仕入の目的となる資産を現実に伴わないものと、伴うものとの二種類があり、かつこれに限られる。したがって、架空仕入は常にいずれかの架空仕入であり、同一の架空仕入が同時に二つの性質をかねそなえた架空仕入であることはありえない。資産を伴わない架空仕入では、仕入が公表の仕入帳に記帳され、さらに仕入の目的とされている資産が形式上は公表の棚卸帳に計上されるけれども、これが現実に公表の棚卸に繰り入れられることはない。これに対し、資産を伴う架空仕入では、仕入が公表の仕入帳に記帳され、さらに仕入の目的とされる資産が公表の棚卸帳に計上されるほか、現実にこれが公表の棚卸に繰り入れられてその用に供せられる。自己所有の簿外資産を目的とする仕入は、この資産を伴う架空仕入に該当する。そして、かかる架空仕入によってのみ、簿外資産を公表帳簿と公表棚卸に繰り入れ、かつこれを他の型態の簿外資産に変形させることができるのである。
(三) 検察官が簿外預金の帰属との関係で主張する架空仕入
検察官は、本件簿外預金の源泉について、被告人会社が多年にわたり蓄積した簿外在庫を架空仕入の計上という不正手段により簿外預金に変形させたものであると主張している。検察官の右主張によれば、検察官がここでいう架空仕入とは、まさに資産を伴う架空仕入のことであって、資産を伴わない架空仕入ではありえないことが明らかである。なぜなら、簿外在庫を架空仕入という方法によって簿外預金に変形させることは、前記のとおり、資産を伴う架空仕入によってのみ可能だからである。
(四) 検察官が簿外在庫の確定との関係で主張する架空仕入
検察官は、簿外在庫の確定の前提として各期首の実際在庫が確定しうると主張し、各期首の実際在庫を確定するために、<期首棚卸=期末棚卸+売上+ロス―当期仕入>の算式を用いて推計々算をしている。ところが、検察官は右算式上の当期仕入について、被告人会社が計上した当期仕入中には架空仕入があるので、これを控除したものが実際の当期仕入であると主張し、右架空分を控除した金額を当期仕入として右算式にあてはめ、期首棚卸を算出している。検察官の右主張によれば、検察官は、簿外在庫の確定との関係における架空仕入とは、前記資産を伴わない架空仕入のことであって、資産を伴うそれではないと主張していることが明らかである。
(五) 結論(検察官の主張自体の不当性)
被告人会社につき法人税ほ脱犯が成立するとの検察官の主張は、本件簿外預金が被告人会社に帰属するとの主張および簿外在庫が確定しうるとの二つの主張を基本的要素としていること、しかも右二つの主張は、同一の架空仕入(甲一の1の36)の存在を共通の要素としていることは前述のとおりである。しかるに、検察官は、簿外預金の帰属の主張と、簿外在庫の確定の主張において、本来同一かつ同性質であるべき架空仕入を、前者においては資産を伴う架空仕入とし、後者においては、これと性質を異にする資産を伴わない架空仕入としているといわざるをえない。
よって、被告人会社につき法人税ほ脱犯が成立するとの検察官の主張は、その主張自体論理法則と経験法則に反する不合理なものであるから、何らの証拠を検討するまでもなく、被告人会社は無罪である。
二 検察官の簿外在庫の確定の主張について
検察官は、昭和三八年三月期首(同三七年三月期末)および昭和三七年三月期首(同三六年三月期末)の各棚卸を推計によって算出しているが、検察官の右推計には、その前提事実に証拠を伴わないものや、経験則上主張自体失当なものが多いうえ、その推計自体合理性、正確性に乏しいものであるから、結局右各期首の棚卸が確定したということではできない。その理由は次のとおりである。
(一) 昭和三八年三月期首(同三七年三月期末)の棚卸に関する検察官の推計過程
検察官は、昭和三八年三月期首(同三七年三月期末)の棚卸を確定するため、次のとおり推計を進めている。
1 当期における本社工場の期末棚卸、売上、実際仕入が確定しているので、ロス量が確定すれば本社工場の期首棚卸が確定する(<期首棚卸=期末棚卸+売上+ロス―当期実際仕入>の算式による)。
2 ロス量は直接証拠によって確定しえないので、次のとおり推計する。
(1) ロス量の確定している昭和三九年三月期を基準とし、自家鋳造スラブ出来高に対するロス量の割合を求め、これをロス率と呼ぶ。
(2) 自家鋳造スラブ出来高は、期中の生産高を一定の歩留りで除せば算出できる。ところでその歩留りは、板については次のとおりである。(イ)面削前のスラブから面削後のスラブの歩留りは八七パーセントである。それは面削前一二〇キロスラブから面削後二六キロスラブ四本がとれるから<省略>の計算によってえられる。(ロ)面削後のスラブから製品は四六パーセントの歩留りで生産できる。(ハ)したがって、自家鋳造スラブ出来高は、<生産高÷46%÷87%>という算式から推計できる。
(3) こうして確定した昭和三九年三月期のロス率<ロス量÷自家鋳造スラブ出来高>は二・七パーセントである。
(4) 推計すべき昭和三八年三月期のスラブ出来高は、(2)と同様の方法により、同様の歩留り率で生産高を除せばえられる。
(5) (4)に(3)のロス率を適用すれば、昭和三八年三月期のロス量が確定できる。
3 以上により、昭和三八年三月期首の棚卸の総重量が算出できた。一方、製品、半製品に関しては、被告人会社作成の押24および押31等の資料が存在するが、違算等を修正すれば正確なものとなるので、総重量から製品、半製品分を差引いたものが当期の期首材料である。
4 以上の本社工場の期首棚卸に板橋工場のそれを加算すれば被告人会社全体の当該年度における期首棚卸が確定するところ、板橋工場の期首棚卸高は期末棚卸高と数量も、製品、半製品、材料の区分も同一と認められる。
(二) 検察官の右推計に対する批判
1 昭和三九年三月期のロス率(その前提としての歩留り率)の誤り
検察官が主張する歩留り率四六パーセントおよび八七パーセントなる数字については、これを証明する何らの証拠もない。検察官がその根拠として主張している山崎弘の検察官に対する供述調書(甲一の2の24、甲一の2の26)によっても、右四六パーセント、八七パーセントなる数字はでてこない。そして、検察官の主張する右歩留り率が確定されない以上、ロス率二・七パーセントもまた確定したものということはできない。
2 昭和三八年三月期首に適用した誤り
右1で述べたとおり、検察官主張の昭和三九年三月期のロス率二・七パーセントなるものは、全く正確性がないのであるから、これを昭和三八年三月期首の棚卸の推計に適用できないことは当然である。しかも、昭和三九年三月期と同三八年三月期とでは生産条件が異っていた(昭和三九年三月期からコイル方式がとられるようになった。)のであるから、同じロス率を生産条件を異にする年度にそのまま適用できないことは、さらに明瞭である。
3 板橋工場分の在庫想定の誤り
検察官は、板橋工場の在庫について、昭和三八年三月期末の在庫と同期首のそれとが、重量も、製品、半製品、材料の区分も同一であると主張しているが、これを証明するに足りる証拠は何ら存在しない。板橋工場は、多数の工員を擁して現に生産をしている工場なのであるから、昭和三八年三月期末と同期首の在庫が、その重量ばかりでなく、その区分までも同一であるなどということは経験則上ありえないことである。
(三) 昭和三七年三月期首(同三六年三月期末)の棚卸の推計の誤り
検察官は、昭和三七年三月期首(同三六年三月期末)の棚卸については昭和三八年三月期首のそれを基礎として推計しているのであるから、昭和三七年三月期首の棚卸の推計についても、右(二)で述べた批判がすべてあてはまる。しかも、当期においては、前期と異り、ロス計算のために必要な期首製品、半製品在高を確定すべき何らの資料も存在していない。そこで検察官は、右期首製品、半製品在高を確定するために、前記推計によって算出した当期末の製品、半製品在高と公表決算上のそれとの倍率<省略>を算出し、この倍率を昭和三六年三月期の公表上の製品、半製品在高に乗じて、これをもって昭和三七年三月期首の製品、半製品在高としている(なお、検察官主張の右倍率は、検察官の算式どおりであるとすれば、二・六五ではなく、二・五八である)。しかし、倍率というものは、期毎に変化するものであるから、期末の倍率を一年前の期首にそのままあてはめることは、到底合理的であるとはいえない。さらに検察官の主張の致命的な誤りは、検察官は当初ロス計算のために当期首製品、半製品在高を六三トン九〇三・四二五キログラムと算定しながら、最終的に確定した当期首製品、半製品在高は八一トン四九四・一〇九キログラムであると主張している点である。右事実は、検察官の本件推計過程に誤りがあることを検察官自ら立証している証左にほかならないものというべきである。
(四) 結論
以上述べたところによると、本件においては起訴事業年度における各期首実際棚卸高が確定せず、したがって簿外在庫の確定もなかったことになるから、ほ脱所得ありとするその金額もまたついに確定しえなかったというべきである。
三 検察官の簿外在庫の帰属の主張について
検察官のこの点に関する主張は具体性がなく主張たりえない。すなわち、検察官は、被告人会社に棚卸の除外があったと主張し、その方法について、ロスの過大計上、これに伴う期末棚卸の過少計上によって遂年簿外在庫を漸増させてきたとみるのが至当であると主張しているのであるが、右主張は極めて抽象的であって何故に至当であるのかについては何ら具体的にこれを明らかにしていない。したがって、右主張はそれ自体犯罪事実の主張に値しないばかりか、右主張を裏づけるに足りる証拠も一切ない。検察官がその論拠としている早川菊雄の検察官に対する供述調書(甲一の2の37、38)によっても、右事実を立証することができず、むしろ、証拠上、検察官が被告人会社に帰属すると主張している簿外在庫は被告人会社にではなく、中条八郎個人に帰属すると認めるのが相当である。
四 検察官の簿外預金の帰属の主張について
検察官のこの点に関する主張は、具体性がなく主張たりえない。すなわち、検察官は、本件簿外預金はすべて被告人会社に帰属し、その源泉は、被告人会社に帰属する簿外在庫であり、これを架空仕入の計上という不正手段で変形したものが本件簿外預金であるとしているのであるから、その帰属を主張するためには、右各期首、期末の簿外預金につき、その変形の手段となった架空仕入の計上につき、具体的事実を主張することが必要である。しかるに、検察官は、本件起訴事業年度中における架空仕入の計上については、その日時、仕入先、金額、重量等その内容を具体的に主張しているけれども、本件簿外預金の重要部分をしめる昭和三七年三月期首の簿外預金に関する架空仕入の計上については、何ら具体的内容を主張していないのである。したがって、検察官のかかる具体性を有しない主張は、右期首簿外預金の帰属の主張たりえず、したがって本件簿外預金の帰属の主張そのものもまた、主張に値しないものといわざるをえない。検察官は、本件簿外預金が被告人会社に帰属する論拠として、中条八郎、同嘉の査察官および検察官に対する供述をあげているが、右各供述によっても検察官の右主張は立証されず、他に右主張を立証するに足りる証拠もない。むしろ、証拠上、検察官が被告人会社に帰属すると主張している簿外預金は、中条八郎ないし同嘉個人に帰属するものと認めるのが相当である。
五 未払金(未払事業税認定損)について
検察官は、昭和三七年三月期のほ脱所得の確定にあたり、前期所得金額に対する未払事業税の認定損として、未払金三、七五一、四六〇円を計上している。しかし、その前期所得とは、本件の事件を担当した査察官が認定した実際所得四三、九六八、六〇〇円であり、これは前期末に二九、七五六、九五二円の簿外在庫ありとして査察官が算定したものであることが明らかである。ところで、検察官は右査察官が算定した前期末の簿外在庫を五四、九三三、八二二円と修正しているのであるから、これに伴って当然前期所得も修正したうえで昭和三七年三月期の未払金(未払事業税認定損)を計算すべきであるのに、これについて何ら修正することなく、前記査察官の算定した前期所得をそのまま採用して当期の未払金を算出している。したがって、検察官主張の昭和三七年三月期の未払金の金額(したがってまた同期の所得金額)は誤りであり、これを基礎として計算された昭和三八年三月期の未払金の金額(所得金額)も誤っているものといわざるをえない。
第二当裁判所の判断
一 被告人会社につき法人税ほ脱犯が成立するとの検察官の主張自体について
被告人会社につき法人税ほ脱犯が成立するとの検察官の主張は、本件簿外預金が被告人会社に帰属するとの主張および簿外在庫が確定しうるとの主張を基本的要素としていること、検察官の右簿外預金の帰属の主張および簿外在庫の確定の主張は、架空仕入の主張と関連し、これを共通の要素としていること、検察官が簿外預金の帰属との関係で主張する架空仕入が弁護人のいわゆる資産を伴う架空仕入に該当することは、いずれも弁護人主張のとおりである。ところで、弁護人は、検察官が期首棚卸を確定するために必要な当期仕入について、公表仕入から架空仕入分を控除した点をとらえて、右検察官のいう架空仕入はいわゆる資産を伴わない架空仕入であるから、検察官の主張は前後矛盾し、したがって主張自体不当であると主張している。しかしながら、期首棚卸を期末棚卸から逆算して算出するということは、物の出入を計算して期首棚卸を算出するということである。期首棚卸(公表、簿外を合計した実際量)と期中に実際に仕入れたものの合計が入庫量であり、売上とロスと期末棚卸(いずれも実際量)の合計が出庫量であって、右入庫量と出庫量とは一致するはずである。期首棚卸を算出するための算式はここから導き出される。したがって、仕入とは当然外部から実際に購入されたもののみをいうのであって、実際仕入に架空仕入を合算したものを当期仕入として期首棚卸の計算の算式にあてはめることは明らかに間違いである。弁護人のいう資産を伴う架空仕入の場合は、期首に存在した簿外棚卸が架空仕入によって公表に組入れられ、費消され、その結果期末棚卸の簿外分が右架空仕入相当分だけ減少するというだけのことであって、そのことから期首棚卸算出のための算式の項目である実際仕入に架空仕入分を加算すべしという理論は決してでてこないのである。
よって、検察官の架空仕入の主張は、主張自体において矛盾するものではないから、弁護人のこの点の主張は失当である。
二 簿外在庫の確定について
本件においては、昭和四〇年三月期末、同三九年三月期末(同四〇年三月期首)および同三八年三月期末(同三九年三月期首)の各棚卸高については、一部違算等による不正確さはあるが、実地棚卸の原始記録たる実地棚卸表(昭和四〇年三月期末および同三九年三月期末の各棚卸高について押44、同三八年三月期末の棚卸高について押26。なお、右各棚卸表の記載が正確であることについて証人早川菊雄供述四、五回、甲一の2の23、27)が存在するので、右一部の違算等を修正すれば、右各期末の棚卸高を確定することができる。しかるに、昭和三七年三月期末(同三八年三月期首)および同三六年三月期末(同三七年三月期首)の各棚卸については、直接これを確定しうるに足りる資料が存在しない(昭和三七年三月期末の棚卸については実地棚卸表たる押31が存在するが、証人早川菊雄供述五、六回、甲一の2の27によると、右押31に記載された同期末棚卸高中には変電所跡に入っていたアルミの新塊等が計上されているかどうか不明である)。そこで検察官は昭和三七年三月期末(同三八年三月期首)および同三六年三月期末(同三七年三月期首)の棚卸を推計によって算出しているのであるが、一般に所得を構成する各科目の一部について直接これを確定する資料がない場合には、推計によってこれを確定することも、その推計が合理的なものである限り許されるものというべきである。そこで、まず検察官の本件棚卸の推計が合理的なものであるかどうかを検討し、ついで弁護人側の主張する右各期の棚卸の確定方法(ロス率の主張)が合理的なものであるかどうかを検討する。
(一) 昭和三八年三月期首(同三七年三月期末)の棚卸に関する検察官の推計の合理性
1 昭和三八年三月期首の棚卸に関する検察官の推計過程は弁護人主張(第一の二の(一))のとおりである。ところで、期首棚卸は、検察官が主張するとおり、<期首棚卸=期末棚卸+売上+ロス-当期仕入>の算式によって算出されるが、本件においては、昭和三八年三月期首棚卸を確定するために必要な、同期末棚卸、同期売上、同期中仕入(検察官主張のとおり、公表仕入から架空仕入分を控除すべきことは前述のとおりである。)はすべて証拠の標目掲記の各関係証拠によって確定することができるので、同期中のロス量が確定できれば同期首棚卸が確定する。ところが、同期中のロス量を直接確定しうる証拠はない。そこで、検察官は、右ロス量を推計によって算出しているので、まず検察官の右ロス量推計の合理性を検討する(右ロス量の推計が合理的であれば、同時に同期首棚卸の推計も合理的なものといいうる)。
2 検察官は、昭和三八年三月期のロス量を確定するために、まず同三九年三月期および同四〇年三月期の各ロス量(期中総使用材料-期中生産高)を確定し、ついで右各期の自家鋳造スラブ出来高を推計によって算出したうえ、各期とも右自家鋳造スラブ出来高に対するロス量の割合(ロス率)(昭和三九年三月期二・六九五六パーセント、同四〇年三月期二・三四四七パーセント)を求め、被告人に有利な昭和三九年三月期のロス率二・七パーセント(二・六九五六パーセントの小数点二位以下を切上げる)を採用し、これを同三八年三月期に適用して同期中のロス量を確定している。ところで、右ロス率推計の基礎となった昭和三九年三月期のロス量(したがってその計算要素である期中総使用材料および期中生産高)は証拠の標目掲記の関係各証拠によってすべて確定することができる。したがって昭和三九年三月期の自家鋳造スラブ出来高の推計が合理的なものであれば、検察官の算出したロス率(二・七パーセント)も合理的なものということができる(なお、昭和三九年三月期において、総使用材料高に対するロス量の割合を求め、これを昭和三八年三月期に適用して同期のロス量を算出できれば、より直接的で、より正確な数値がえられるが、本件においては適用されるべき昭和三八年三月期の総使用材料高を直接確定すべき証拠がないので、検察官のように昭和三九年三月期の自家鋳造スラブ出来高に対するロス量の割合を求め、これを昭和三八年三月期に適用することも、なお合理的なものというべきである)。そこで、次に自家鋳造スラブ出来高に関する検察官の推計の合理性を検討する。
3 自家鋳造スラブ出来高は、期中の生産高を一定の割合の歩留りで除せば算出することができる。右歩留りにつき検察官は、板の場合、(イ)面削前のスラブから面削後のスラブのできる歩留りは八七パーセント(面削前一二〇キロスラブから面削後二六キロスラブが四本とれるから<省略>の算式によってえられる。)、(ロ)面削後のスラブから製品のできる歩留りは四六パーセントであり、線の場合、スラブから製品のできる歩留りは七五パーセントであると主張し、弁護人は、特に右板の場合の歩留りにつきこれを証する何らの証拠もないと主張している。
そこで、右各歩留りの合理性を検討する。
右各歩留りについては、被告人会社においてはもとより、業界、学界においてもその実験データや確固たる定説がないばかりか、企業規模の大小、設備状況、作業方法、工場従業員の技術等によって著しい相異がある(証人室町繁雄供述二一、二二回)ので、結局被告人会社における右歩留りについては、富山大学工学部金属工学科を卒業して昭和三〇年四月被告人会社に入社し、以来一貫して製造業務を担当してきた山崎弘の検察官に対する供述を信用すべきものと考える(なお、右山崎は、後に当公判廷において、証人として、右検察官に対する供述を一部否定する趣旨の供述をしているが、右供述は、その恩師である室町繁雄の証言の後になされ、しかも右室町証言に追随する内容のものであるから、右両者の関係からしても直ちに措信しがたいものというべきであって、その信用性はむしろ後に検討する室町鑑定書および同証言の信用性と同一に考えるべきである)。
山崎弘は検察官に対し、まず板の面削後のスラブから製品のできる歩留り(検察官の主張四六パーセント)につき、(イ)昭和三七年三月期および同三八年三月期の歩留りは四五パーセント位、(ロ)同三九年三月期のそれは右過去両期よりよい、(ハ)同四〇年三月期のそれは、さらにこれよりよくなって五〇パーセント位である旨供述していて(甲一の2の26)(なお、右調書中で、山崎が昭和三六年度、同三七年度、同三八年度、同三九年度と表現している趣旨は、右調書、甲一の2の24および証人山崎の当公判廷における供述を総合すると、それぞれ昭和三七年三月期、同三八年三月期、同三九年三月期、同四〇年三月期の趣旨と解せられる。弁護人もその弁論要旨の中でこのように解している。)四六パーセントという数字そのものは供述していない。しかしながら、甲一の2の24によると、昭和三九年三月期以降において、それ以前より歩留りがよくなってきたのは、そのころから購入コイルによる生産が多くなってきたためと認められるところ、検察官は購入コイルによる製品についてはこれを製品製造高から控除して計算しているのであるから、自家鋳造スラブからの製造歩留りは、昭和三九年三月期においても、それ以前とほとんど変りないものと認めるのが相当である。ただ、山崎弘の当公判廷における供述によると、昭和三九年三月期から自家鋳造コイルによる生産が前期より多くなってきたと認められるので、同期の自家鋳造スラブからの製造歩留りは、前期(昭和三八年三月期)よりやや上昇したものと認められる。したがって、昭和三九年三月期の右歩留りは、昭和三八年三月期の歩留り四五パーセントに一パーセントをプラスした四六パーセントであるとする検察官の主張は合理的なものとして是認することができる。
次に、面削前のスラブから面削後のスラブのできる歩留り(検察官の主張<省略>)に関する山崎弘の検察官に対する供述を検討する。山崎は、検察官に対し、(イ)一二〇キロ位のスラブの頭を切り、四枚に切断して面削にかける、(ロ)面削りをした後のスラブ(一個二四キロから二五キロ位)と供述(甲一の2の24)していて、面削後の一個のスラブの重量が二六キロになるとは述べていない。しかしながら、押263144によると、被告人会社ではこの種のスラブとして二五キロのもの、二六キロのもの、二七キロのものをそれぞれ相当量ずつ使用し、特に昭和三九年三月期においては二五キロのものおよび二七キロのものを使用していたことが認められるので、その中間の二六キロをとったと思われる検察官の主張は合理的なものというべきである。なお、線のスラブの製造歩留り七五パーセントについては甲一の2の24によって認められる。
4 以上検討したところによると、検察官の主張する歩留り(板の場合四六パーセント、八七パーセント、線の場合七五パーセント)はいずれも合理的なものと認められるところ、前記のとおり、昭和三九年三月期の期中生産高は証拠によって確定しうるのであるから、結局検察官の自家鋳造スラブ出来高の推計(期中生産高÷歩留り)は合理的なものということができ、したがってまた検察官の算出したロス率(ロス量÷自家鋳造スラブ出来高=二・七パーセント)も合理的なものということができる。
5 そこで次に検察官は、昭和三八年三月期のスラブ出来高を前同様の方法によって算出し、これに右ロス率を適用して同期のロス量を確定し、これを基礎として同期首の棚卸の総重量を確定している。弁護人は、昭和三九年三月期と同三八年三月期とは生産条件が異っていた(昭和三九年三月期からコイル方式がとられるようになった。)のであるから、同じロス率を生産条件を異にする年度にそのまま適用することはできないと主張するけれども、前述のとおり、前記ロス率を算出するにあたっては、その要素たる生産高および歩留りの確定において、弁護人主張の生産条件の違いを考慮しているのであるから弁護人の右主張は理由がない。そして、右のとおり、本件ロス率は年度による生産条件の相異を考慮して算定されたものであるから、これを昭和三八年三月期に適用し、同期首棚卸を求めた検察官の推計は、結局合理的なものと認めるべきである。
6 なお、弁護人は、板橋工場の在庫の想定(検察官は、昭和三八年三月期末の在庫と同期首のそれとが、その重量および在庫構成(製品・半製品・材料の区分)において同一であるとしている。)が誤まっていると主張しているが、甲一の2の1819および証人早川菊雄供述五、七回によると、板橋工場の在庫は、その重量および、在庫構成において昭和三六年三月期末から同三八年三月期末まで、毎期ほぼ同じであったものと認められる。したがって、昭和三八年三月期首の板橋工場の在庫(これについて直接証明する資料がない。)を証拠(押1656)の存在する同期末の在庫と同一のものと想定することも合理的なものとして許されるものというべきである。
(二) 昭和三七年三月期首(同三六年三月期末)の棚卸に関する検察官の推計の合理性
1 検察官は昭和三七年三月期首の棚卸を、先に確定した同三八年三月期首の棚卸を基礎とし前同様の方法によって推計している。しかるに、前記のとおり、昭和三八年三月期首の棚卸の推計は合理的なものと認められるのであるから、これを基礎としこれと同様の方法によって行った右昭和三七年三月期首の棚卸の推計も、また合理的なものというべきである。
2 なお、検察官は昭和三七年三月期のロス計算のために必要な当期首製品・半製品在高を確定するために、同期末の製品・半製品在高とその公表在高との倍率を求め、これを同期首の公表製品・半製品在高に乗じて同期首製品・半製品在高を確定しているところ、弁護人はこれを不合理であると論難している。しかしながら、昭和三七年三月期首の製品・半製品在高を直接確定すべき証拠はないのであるから、同期末の実際製品・半製品在高と公表のそれとの倍率を同期首に適用して同期首の製品・半製品在高を確定することもやむをえないものとして合理性を有するものというべきである。ただ、同期末の実際製品・半製品在高と公表のそれとの倍率(<省略>)は二・六五(検察官の主張)ではなく、弁護人指摘のとおり二・五八であるので、右倍率を二・五八として検察官の計算を修正する(その内容は別紙四のとおりである)。また、検察官がロス計算のために右倍率を用いて算出した昭和三七年三月期首の製品・半製品在高(六三トン九〇三・四二五キログラム)と最終的に確定した同期首のそれ(八一トン四九四・一〇九キログラム)との間にくい違いがあることは弁護人主張のとおりであるが、前者はロス計算のための函数的なものであるとともに、これが少ない方がロスが多くなって被告人に有利であり、これに対し後者は計算の最終結果としての期首棚卸の数字であり、かつ製品・半製品の量が多いほど被告人に有利であるから、右数字のくい違いは昭和三七年三月期首の棚卸の確定に影響をおよぼすものではないというべきである。
3 よって、昭和三七年三月期首の棚卸に関する検察官の推計もまた、合理的なものとして肯認することができる。
(三) 弁護人側の主張する棚卸確定方法(ロス率の主張)の合理性
ロス率に関する弁護人側の主張を大別すると、次のとおりである。
(イ) 早川菊雄が証言(早川証言という。)するロス率
(ロ) 軍司俊雄作成のロス率計算書(軍司計算書という。)のロス率
(ハ) 室町繁雄作成の鑑定書(室町鑑定書という。)のロス率
そこで、これらのロス率の合理性を順次検討する。
1 早川証言のロス率(生産高に対する一〇パーセントのロス)
証人早川菊雄供述八回、同証人の当公判廷における供述(三八回)によると、被告人会社では従来生産高の一〇パーセントをロスとしてこれを期末在庫から控除してきたことが明らかである。しかしながら右早川自身、右ロス率一〇パーセントの根拠については、経理事務の引継ぎを受けた北見税理士の言によっただけではっきりした根拠があるわけではないことを認めている(三八回証言)。しかも被告人会社においては、従来ロス計算をしていなかったことが明らか(甲一の2の23)なのであるから、右生産高に対する一〇パーセントのロス率をもって正当なロス率であるとは到底認められない。
2 軍司計算書のロス率
証人軍司俊雄供述一九回によると、同人は、もと東京国税局法人税課員で昭和四〇年六月被告人会社に入社し、以来経理事務を担当しているものであるが、入社が本件起訴事業年度より二年以上も後であり、しかも技術面の経験、知識がないというのであるから、はたして当該年度のロス率を正しく計算しえたかどうかまず疑問である。検察官主張の昭和三八年三月期の板生産高七四一トン七〇六・〇八三キログラムおよび線生産高三一九トン四五〇・四〇八キログラムを前提として、これに右軍司計算書のロス率(小数点二位以下を切上げて板については九・二パーセント、線については三・八パーセント)を適用すると同期のロス量は八〇トン三七六・〇七五キログラムとなり、早川証言によるロス量一〇六トン一一五・六四九キログラム(一〇六一トン一五六・四九一キログラム×一〇パーセント)および後記室町鑑定書におけるロス量一〇四トン一二八・八キログラムより少量となる。しかるに証人山崎弘の当公判廷における供述(三七回)によると、室町鑑定書の数式により算出されるロス量(昭和三八年三月期一〇四トン一二八・八キログラム)は最少限度の数字であるというのであるから、軍司計算書のロス率は弁護人側自らこれを否定した形ともなっている。以上を合せ考えると、軍司計算書のロス率も合理的なものとは認められない。
3 室町鑑定書のロス率
検察官は、その論告要旨三八頁以下において、室町鑑定書に対する批判を詳論しているが、当裁判所も右検察官の批判をおおよそ妥当なものと考える。
特に、室町鑑定書は、ロス発生の主要な部分を占める溶解ロスについて、スラブならびにワイヤーバー溶製の際のロス率一・五パーセント、再生塊溶製の際のロス率二・五パーセントとしているが、これについて明確な根拠がない。すなわち、証人室町繁雄供述二一、二二回によると、右一・五パーセントおよび二・五パーセントのロス率の根拠は、(イ)同証人の現場的経験、(ロ)関係技術者との話合い、(ハ)被告人会社における試験データ、(二)文献等であるというのであるが、(イ)現場的経験というのは昭和一三年から同一五年にかけて同証人が勤務した満州軽金属製造株式会社における経験にすぎず、しかも当時ロス率について正確なデータをつかみえなかったことを同証人自身自認していること、(ロ)同証人が話合ったという関係技術者も、ロスについてデータをとっていたわけではないこと、(ハ)被告人会社における試験というのは、本件起訴後である昭和四〇年以降に千葉工大の学生にやらせたものであるが、同証人は右試験に立会っておらず、しかも同証人は、試験によるロス率はまちまちで、データはかなり沢山とらないと信用のおけるものにならないという気がしたと述べて、同証人自身右試験結果に信をおいていないこと、さらに右試験において溶解の際のかす(灰)から回収できる再生塊分を引いたかどうか不明であること、(ニ)同証人があげる文献についても、その資料がどういう実験の結果でできたのか、どういう受払計算をしてできたのか、どこの会社の資料かというようなことが一切不明であること(以上、いずれも二一、二二回室町証言)、さらに室町鑑定書による昭和三八年三月期のロス量一〇四トンは、昭和三九年三月期の実際ロス量五九トン、同四〇年三月期の実際ロス量四一トン(前記のとおり、右各ロス量は推計の入らない直接証拠による数字である。)に比して異常に多いこと等を総合して考えると、前記室町鑑定書のロス率(一・五パーンセントおよび二・五パーセント)が合理的なロス率であるとは到底認められない。
結局、ロスについての確実な証拠は、昭和三九年三月期および同四〇年三月期のロス量(いずれも実績)と被告人会社の溶解かすの再生を一手に引受けていた早坂精錬所の記録のみである(甲一の2の91024)。右早坂精錬所の記録(甲一の2の10添付の表)から、溶解の純ロスを計算すると次のとおりである。
期間 <1>灰の受入数量 <2>再生塊の引渡数量 <3>ロス(<1>-<2>)
35・5・1 36・3・31 25トン400.5キログラム 16トン948キログラム 8トン452.5キログラム
36・4・1 37・3・31 50トン985.5キログラム 30トン681キログラム 20トン304.5キログラム
37・4・1 38・3・31 50トン316キログラム 31トン213.5キログラム 19トン102.5キログラム
これに対し、室町鑑定書の溶解ロス(昭和三八年三月期)は次のとおりで、当然のことながら同鑑定書の総ロス量一〇四トン一二八・八キログラムの大部分を占めている。
板のロス(ロス率2.5%)屑→溶解→再生塊のロス 37トン079キログラム
(ロス率1.5%)再生塊と新塊との溶解ロス 30トン988キログラム
小計 68トン067キログラム
線のロス 屑→溶解→再生塊のロス 7トン761キログラム
再生塊と新塊との溶解ロス 6トン486キログラム
小計 14トン247キログラム
溶解ロス総計 82トン314キログラム
早坂精錬所の灰の出納差額(溶解の純ロス)と室町鑑定書の溶解ロスを比較すると、同一年度の昭和三七年四月一日から同三八年三月三一日の期間において一九トン対八二トンと実に四倍以上の開きがある(しかも、前記のとおり、灰を再生する業者は早坂精錬所のみである)。勿論溶解の場合のロスは、灰以外に消え去って行方不明となった部分もあったとは考えられるが、それにしても、この差は異常に大きすぎるといわざるをえない(軍司計算書によると、再生溶解の際行方不明となる灰は、右溶解に供した面削屑の二五パーセント程度にすぎない。)
結局、室町鑑定書のロス率は、実績の数字(昭和三九年三月期、同四〇年三月期の各ロス量、および早坂精錬所の記録から算出されるロス量)にも遠くかけ離れたもので、この点からも採用するに値しないものといわざるをえない。
三 簿外預金および簿外在庫の帰属について
弁護人は、検察官の簿外預金および簿外在庫の帰属の主張は、いずれも抽象的であって犯罪事実の主張たりえないと主張するが、検察官は、訴因変更請求書によって変更された起訴状記載の公訴事実によって本件犯罪事実を特定し、かつ冒頭陳述要旨および同変更書によって本件犯行の動機、態様、本件ほ脱所得の金額、内容を具体的に主張しているのであるから、犯罪事実の主張として何ら欠けるところはないものというべきである。簿外預金および簿外在庫の帰属の点についても、検察官としては最少限度それが被告人会社に帰属する旨を主張すれば犯罪事実の主張としては足りるのであって、あとは、それが証拠上認められるかどうかという立証の領域に属するものというべきである。
よって、この点の弁護人の主張は採用することができない。
そこで、本件簿外預金および簿外在庫の帰属を検討する。
本件簿外預金の存在自体については弁護人もこれを認めているし、証拠上も明らかである。また本件簿外在庫が確定しうることも前記のとおりである。ところで、右簿外預金および簿外在庫が、被告人会社または中条八郎ないし中条嘉個人(以下、個人という。)のいずれに帰属するものであるかは別として、被告人会社または個人のいずれかに帰属するものであること(したがって、右両者以外の第三者に帰属するものでないこと)については争いがなく証拠上も明らかである。したがって、右簿外預金および簿外在庫は個人に帰属するものでなければ被告人会社に帰属し、被告人会社に帰属するものでなければ個人に帰属するという関係にあるところ、証人中条嘉供述三〇、三一、三二回によると同人は本件簿外預金および簿外在庫はいずれも個人に帰属するものであると供述しているので、右証人中条嘉の供述を検討しながら、本件簿外預金および簿外在庫の帰属を検討する。
(一) 本件簿外預金および簿外在庫に関する中条嘉の供述
本件簿外預金および簿外在庫に関する中条嘉の供述(三〇回、三一回、三二回)は、おおよそ次のとおりである。
1 戦前に取得したアルミ材料
中条八郎(前被告人会社代表者)の父辰之助は、昭和の初期ころから株式会社中条軽銀製造所を経営していたが、同人は、嘉が八郎と結婚した昭和一六年ころすでに二五〇トン位のアルミの新塊を個人で所有していた。会社は別に会社としての材料を持っていたが、その量は知らない。昭和一九年辰之助が死亡したので、八郎が右二五〇トンのアルミ材を相続し、右アルミ材二五〇トンは八郎の所有となった。
2 アルミの疎開
昭和二〇年三月末から同年四月半ばにかけて、右アルミ二五〇トンを山形県漆山に疎開させた。疎開には、日通田端営業所の営業課長であった清水貞次郎に頼んで貨車三八輛をとってもらった。うち、右アルミの輸送に使用したのは二二、三車輛である。山形の漆山工場は終戦まで休業状態で、戦後は鋳物を作ったが材料は現地で仕入れたアルミのスクラップであって、右疎開したアルミは使用していない。右疎開したアルミ二五〇トンは昭和二一年一一月から同二二年一月にかけて全部東京に返送した。
3 戦後のアルミ購入
八郎は終戦直後いち早く帰京し、アルミを買い集めるとともに、すず、亜鉛、電線等の売買をして多額の利益をえた。八郎が買い集めたアルミは終戦直後から昭和二三年七、八月ころまでの間に三五〇トンないし四〇〇トンに達した。したがって、昭和二三年七、八月ころには八郎個人所有のアルミは前記疎開した二五〇トンと合せて六〇〇トン以上あった。
4 被告人会社の設立
八郎は昭和二二年一月資本金一九万五、〇〇〇円で被告人会社を設立したが、右個人のアルミは被告人会社に引き継がなかった。
5 経済安定本部の調査
昭和二三年八月ころ、経済安定本部(以下、安本という。)の隠退蔵物資の摘発があるという話を聞いたので、前記六〇〇トンのアルミを幾日もかかって工場の敷地内に分散して埋めた。一回目の調査には七、八人位の調査員が来たが見つからなかった。二回目の調査には三〇人位の調査員が埋めた場所の見取図を持ってきてアルミを堀りおこし、半分の三〇〇トンが見つかってしまった。右発見された三〇〇トンのうち五トンは供出し、九五トンは被告人会社の所有ということで認めてもらい(八郎個人が被告人会社に三一二万円で売渡したことにし、被告人会社から右同額を支払ってもらった。)、その余の二〇〇トンは他の会社の預り在庫ということにしてもらった。すなわち、この時点で個人のアルミは五〇〇トン以上(発見されなかった三〇〇トンと預り形式にしてもらった二〇〇トン)あった。右発見されなかった三〇〇トンは徐々に堀り出して他の二〇〇トンとともに倉庫とか工場内の物置においたが、昭和三二年ころ圧延工場の中に倉庫(エア・ポケット)を作ってそこに保管し、昭和三六年六月の火災後は変電所と熔解工場に入れた。
6 国税庁の査察
昭和二三年九月ころ国税庁の査察があったが、アルミの在庫については前記安本の調査書類をそのまま認めてもらった。公表にくり入れた前記九五トン分については未払金三一二万円を認容してもらった。右三一二万円は被告人会社から八郎個人に支払われ預金化された。
7 伝票操作
昭和三二年ころから前記五〇〇トンの個人アルミを被告人会社に使わせるようになったが、昭和三四年ころまでは現物を貸し、現物を返してもらっていた。昭和三四年六、七月ころから右個人アルミを被告人会社に売り、伝票操作(架空仕入の計上)によって代金を回収し、これを仮名・無記名の預金にした。個人アルミを現実に会社に渡した日や数量等その出納状況を記録したものは何もない。代金をもらう都度伝票を起していた。
8 八郎からの引継ぎ預金
なお、嘉は八郎から個人の預金を、昭和二六年ころ四、〇〇〇万円位(仮名・無記名)、同三二年ころ一、三〇〇万円位(仮名・無記名)引継いだ。右合計五、三〇〇万円の預金は八郎が終戦直後、前記すず、亜鉛等を売買してえた利益金であって、これが検察官主張の昭和三七年三月期首預金となったものである。
9 本件簿外預金および簿外在庫の帰属
本件簿外預金の各期中増加額は、個人所有のアルミを被告人会社に売却した代金を伝票操作によって個人が回収した分とその利息であり、昭和三七年三月期首の簿外預金源泉は前記八郎から引継いだ五、三〇〇万円の個人預金および伝票操作によって個人が回収した分とその利息である。したがって、本件簿外預金はすべて個人に帰属する。また、前記のとおり、本件簿外在庫も個人の在庫である。
(二) 右中条嘉の供述の信用性および本件簿外預金、簿外在庫の帰属
1 戦前に取得したアルミ材料(二五〇トン)
この点に関する証拠は前記中条嘉の供述のみである。もっとも、乙2に被告人会社創立当時(昭和二二年一月三〇日)個人のアルミ在庫があった旨の中条八郎の供述はあるが、そのアルミが戦前に取得されたものであるかどうかは不明である。しかも、二五〇トンという数量とそれが個人所有であるとの点については、嘉は、父辰之助と夫八郎に聞いたというのみで他に根拠はない。また、嘉は、個人分のアルミについてはその数量、推移につき詳細に供述しているのに(しかも嘉は当時新婚早々である。)、会社(中条軽銀)分のアルミについては、ただあったというのみでその数量の記憶もなく山形に疎開したのかどうかの説明もない。大正七年ころから会社を経営している中条家(乙1)が、会社のものとしてではなく個人として多量のアルミを持っていたということも極めて不自然である。以上のことを合せ考えると、この点の嘉の供述、特にアルミの数量に関する供述は直ちに措信しがたいものといわざるをえない。
2 アルミの疎開
証人中条嘉供述(三〇回)によると、同人が被告人会社に顔を出すようになったのは昭和二六年からであり、常務取締役として実際に仕事をするようになったのは工藤支配人が退職した後の昭和三一年八月からであったというのであるから、当時疎開荷物の内容、数量につきどの程度の認識があったのか、まず疑問である。しかも、所有者であるという八郎自身、戦前に個人所有のアルミがあったことについて何らの供述もしていない。この点に関する他の証人(清水貞次郎三四回、太田次雄三四回、秋場勝作証人尋問調書、鈴木督三六回)の証言を総合しても、昭和二〇年三月ころに工場疎開があったこと、右疎開荷物中にアルミのインゴットが含まれていたこと、戦後アルミが東京に送り返されたことが認められるのみで、右アルミの数量については明らかでない。以上のことと前記1に述べたことを合せ考えると、疎開したアルミの数量に関する嘉の供述は前記1の場合と同様直ちに措信しがたいものといわざるをえない。
3 戦後のアルミの購入(三五〇トンないし四〇〇トン)
証人中条嘉供述三一回によると、中条家の終戦時の個人資金は、父辰之助死亡時の預金二〇万円と戦災火災保険金六〇万円のみであったというのである(中条軽銀は疎開後終戦まで休業状態(乙3))。しかるに八郎は昭和二一年七月に紀長伸銅所を一三五万円で買入れ(乙23)、疎開した荷物を送り返す等多額の出費をしているのであるから、当時金物の商売をして利益をあげていたとしても嘉が供述するほど多量のアルミを買い集められたかどうかすこぶる疑問である。しかも嘉が昭和二六年ころおよび同三二年ころ八郎から引継いだといえ仮名・無記名の預金合計五、三〇〇万円は右金物の商売によってあげた利益であるというのである(後に述べるとおり、この供述自体その信用性が疑わしいが)から、さらにこの外に多量のアルミを買い集めるだけの資金的余裕があったかどうかなおのこと疑問である。
4 安本の調査
中条嘉は、安本の調査によって土中に埋めた六〇〇トンのうち三〇〇トンが発見され残りの三〇〇トンは発見されなかったというのである。しかしながら、安本の調査は三〇人位の調査員が見取図を持ってきて埋めてあったアルミを堀りおこしたというのであり、しかも右摘発の端緒は社内雑役工員の密告と考えられる(嘉供述三一回)というのであるから、右調査によって土中に埋めたアルミの大半が発見されたであろうと考えるのが自然である(アルミの埋蔵は工場の敷地を堀って幾日もかけて行ったというのであるから、被告人会社内部においては埋蔵個所はむしろ公知の事実であったろうと考えられる。したがって、仮に右密告工員が休んだ日に埋めた分があったとしても右工員が後日埋蔵個所を知ることは容易であったろうと推察される)。また、嘉は、発見された三〇〇トンのうち二〇〇トンについては預り在庫ということにしてもらったというのであるが、調査は、最初は七、八人、二回目は三〇人もの多数の調査員が来て行った大がかりなものであったのであるから、発見されたうちの三分の二を見逃すなどということは到底考えられない。結局、右調査当時埋めてあったアルミの数量(したがって、嘉が個人所有のアルミであると主張する全数量)は供出した五トンと公表にくり入れた九五トンの合計一〇〇トンがそのほとんどであって、仮に発見もれがあったとしてもその量は僅少であったと認めるのが相当である。したがって、この時点において、個人所有のアルミは右発見もれがあった場合の僅少量のみであって、他(公表一四トン余りと右九五トンの合計約一一〇トン)はすべて被告人会社に帰属するにいたったものと認めるのが相当である。
5 昭和二三年三月期と同二六年三月期における被告人会社の預金および材料
証人佐藤重雄供述二九回、押52、89によると昭和二三年三月期と同二六年三月期における被告人会社の預金および材料は次のとおりである。
(1) 昭和二三年三月期(第一次査察によって被告人会社のものと認定されたもの)
(イ) 銀行預金 二、六三五、六九一円八〇銭
内訳 被告人会社名義 九二、四二三円六六銭
中島三郎名義 一、三四七、三四三円二一銭
中条八郎名義 一、一九五、九二四円九三銭
(ロ) 材料 一一〇トン四〇〇キログラム
内訳 アルミ塊 八九トン四〇〇キログラム
アルミ屑 二一トン
(2) 昭和二六年三月期(被告人会社の決算報告書による)
(イ) 預貯金 四八三、〇一四円四二銭
内訳 銀行預金 四六二、三一四円四二銭
貯金 二〇、七〇〇円
(ロ) 材料 五トン三四〇キログラム
内訳 アルミ塊 二トン四四四キログラム
アルミ屑 一八〇キログラム
アルミ板 二トン七一六キログラム
右各期の被告人会社の預金および材料を比較すると、昭和二六年三月期における被告人会社の預金および材料は同二三年三月期のそれに比して、いずれも大巾に減少していることが明らかである。しかもこの間、被告人会社が事業を縮少した形跡は全くないのであるから、被告人会社においては、昭和二三年三月期当時存在した預金および在庫が昭和二六年三月期には既に簿外となってしまったものと考えざるをえない。まず預金についてみると、昭和二六年三月期の被告人会社の確定申告書(押52)によればアルミ塊はトン当り二〇万円であったというのであるから、四八三、〇〇〇円余の預金では僅々アルミ塊二トン半を購入しうるにすぎず、しかも仕入以外に工賃、給料、製造経費、一般管理費などの経費も要することを考えると右預金額は絶対に不足である(現金手持有高は七一、九七一円六八銭)。ついで材料についてみると、中条八郎は検察官に対し、「昭和二六年三月末当時の月産製品のトン数がはっきりしないが、一応五〇トン位とみるとインゴットは少くとも一〇〇トン位はいると思う。したがって公表の二トン余りというのはおかしいわけで当時から簿外の材料があってその材料が流用されていたと思う」旨供述(乙5)し、また証人金沢秀貞供述三六回によると、普通生産メーカーは月産の三倍の在庫を持たないと仕事にならないというのであるから、昭和二六年三月期においては、同二三年三月期に簿外となっていた被告人会社の在庫(九五トン九〇〇キログラム)とほぼ同量かそれ以上の簿外在庫が確実に存在したものと認められる。そして、右簿外預金および簿外在庫の蓄積の方法は、まず簿外預金についてみると、適宜架空仕入を計上し、これに伴って架空買掛金、架空未払金等を計上することによって行ったものと考えられ(乙1によると、中条八郎はすでに昭和二三年ころ架空の買掛金や未払金を計上して会社から資金を引出し、これを別途預金等にしていた事実がある。)、また簿外在庫についてみると、期末に、翌期の仕入の最初の日をもとにしてそれまでの間使えるだけの材料を残して他は除外する(証人早川菊雄供述五回)ことを繰返すことによって行ったものと考えられる。したがって、右簿外預金の蓄積(架空仕入等の計上)と簿外在庫の蓄積(棚卸の除外)とは何ら関連性を有するものではなく、それぞれ別個に、適宜行われていたものと認められる(右両者が関連性を有するものとすれば、材料増、預金減または預金増、材料減の姿が普通であるのに、前記のとおり、昭和二六年三月期の被告人会社の公表預金および同材料は、二三年三月期のそれに比して、両者とも大巾に減少している)。
6 中条八郎、同嘉の個人資産の推移
甲一の1の911、甲一の2の42、甲一の4の2316、乙2によると、中条八郎、同嘉の個人資産の推移は次のとおりである。
<省略>
(明細は別紙五のとおり)
ところで、前記のとおり昭和二三年の査察によって個人名義の預金まですべて被告人会社の簿外預金と認定されているから、昭和二三年三月現在における中条夫妻の個人資産は一、三〇五、〇〇〇円の被告人会社の株式以外にはほとんどなかったものと考えられる。その状態から出発して昭和三五年三月末現在、八郎の内妻頓所隆子分を含めて約三、二〇〇万円の個人資産ができている。しかるに、この間、中条夫妻は被告人会社からの報酬以外に特段の収入があったわけではないのであるから、右資産の増加はむしろ過大であり、被告人会社の簿外資産が混入している可能性さえ想定される(しかしながら、中条夫妻の査察官に対する供述にしたがって、個人名義はもちろん、一部架名の預金であっても、個人預金と認定されている)。
なお、前記安本の調査時に発見もれの材料があったとすれば、右材料は朝鮮事変のブームの際に(昭和二八年ころまで)処分され(乙1)、右処分代金が右個人資産となったものと考えられる。なぜなら、右個人資産の増加状況は中条夫妻の収入源からみて過大であり、また処分代金が個人のものであれば個人名義の預金に入れるのがごく自然だからである(前記のとおり、昭和三五年三月末現在において、中条夫妻は一、二〇〇万円以上の個人実名預金を有していた)。
7 八郎からの引継預金(合計五、三〇〇万円)
この点に関しては、八郎のはっきりした供述はなく嘉の供述のみである。前記のとおり、昭和二三年の査察当時の夫妻の個人資産は被告人会社の株式以外には僅少なものであったと認められるところ、中条夫妻には被告人会社からの報酬以外に特段の収入源がなかったこと、一方前記のとおり被告人会社では昭和二三年以降簿外預金を増大させていったと認められること、個人の預金であれば、ことさら架名・無記名にする必要はないこと(前記のとおり、中条夫妻は相当額の実名預金を有している。)などを合せ考えると右合計五、三〇〇万円の預金は被告人会社の前記架空仕入等による簿外預金と認めるのが相当である。
8 伝票操作
前記のとおり、昭和三二年ないし同三四年ころには個人所有の材料はなかったのであるから、伝票操作は、すべて被告人会社の簿外預金を作るために行われたものと認めるべきである。この点に関する中条嘉の供述は信用できない。
9 結論(本件簿外預金および簿外在庫の帰属)
本件簿外預金および簿外在庫はすべて被告人会社に帰属するものと認めるのが相当である。
昭和二三年の安本の調査および国税庁の査察当時の個人所有のアルミは前記のとおり一〇〇トンのみであったところ、うち五トンを供出し、九五トンを公表にくり入れたので、この時点において個人所有のアルミは全くなくなったことになる。かりに安本の調査の発見もれがあったとしても、その量は僅少であり、しかも昭和二八年ころまでにすべて処分されて個人資産と化している。したがって、少くとも昭和二八年ころには個人所有のアルミは全くなかったと認められる。一方、被告人会社は昭和二三年以降、簿外預金、簿外在庫の増大に努め、その結果が昭和三七年三月期首の簿外預金六六、一七四、〇八三円(ただし、うち簿外仮受金として認容されている三〇〇万円を除く。)となったものと認められるのである。
以上るる論述してきたところに、検察官がその論告要旨四頁ないし一四頁において指摘している事実、中条八郎が個人の材料を被告人会社に売却した所得について所得税の申告をした事跡はない事実等を合せて考えると、本件簿外預金および簿外在庫はすべて被告人会社に帰属するものと認めるのが相当である。
四 未払金(未払事業税認定損について)
未払事業税認定損は、前期の実際所得を基礎として算出すべきである。したがって、弁護人の主張は理由があるので、昭和三六年三月期の実際所得を基礎として検察官の主張金額を修正することとする(計算は別紙六のとおり)。
(法令の適用)
判示第一の事実は法人税法(昭和四〇年法律三四号)附則一九条、昭和三七年法律四五号附則一一項、同法による改正前の旧法人税法(昭和二二年法律二八号)五一条一項、四八条、刑法六〇条に、同第二の事実は法人税法(昭和四〇年法律三四号)附則一九条、昭和三七年法律四五号による改正後の旧法人税法五一条一項、四八条、刑法六〇条にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪については昭和三七年法律四五号附則一一項、同法による改正前の旧法人税法(昭和二二年法律二八号)五二条の適用があるので、結局各罪ごとに刑を科すべく、所定罰金額の範囲内で、被告人会社を判示第一の事実につき罰金三〇〇万円に、同第二の事実につき罰金二〇〇万円にそれぞれ処し、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文を適用して全部被告人会社に負担させることとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高田義文 裁判官 松本昭徳 裁判官 池田真一)
別紙一 修正貸借対照表
昭和37年3月31日
株式会社平和アルミ製作所
<省略>
別紙二 修正貸借対照表
昭和38年3月31日
株式会社平和アルミ製作所
<省略>
別紙三
税額計算表
<省略>
別紙四の(一)
昭和37年3月期末における製品・半製品の公表と実際との倍率2.65を2.58に訂正することにともなう棚卸関係計算書
<省略>
別紙四の(二)
(3) 昭和37年3月期のロスの算出(36頁)
スラブ出来高 ロス率
2,490t065.526kg※×2.7%=67t231.769kg※
(4) 昭和37年3月期首在庫の算出(37頁)
期末在庫 396t124.082kg
出庫 1,417t223.736kg
ロス 67t231.769kg※
入庫 △1,602t279.715kg
期首在庫 278t299.872kg※
(5) 昭和36年3月31日現在在庫の品名別・重量の算出(38頁)
<省略>
(6) 昭和36年3月31日現在本社在庫分(9頁)
<省略>
別紙四の(三)
(7) 昭和36年3月31日現在アルミ棚卸計算表(昭和37年3月期の過年度金額の算出)(4頁)
<省略>
なお、製品について別紙一の修正貸借対照表の借方過年度金額は、上記製品の簿外計金額に前記表の貸方当期増減金額に計上の384,000円を加算して計算してある。
(8) 昭和37年3月期の逋脱所得の内容(当期増減金額の算出)(3頁)
<省略>
別紙四の(四)
(9) 昭和37年3月期の本社アルミ材受払計算表(31~33頁)
<省略>
別紙四の(五)
<省略>
別紙五の(一)
個人資産推移明細表
(1) 埼玉銀行板橋支店関係
<省略>
別紙五の(二)
(2) 第一銀行尾久支店関係
<省略>
(3) 三菱銀行三ノ輪支店関係
<省略>
(4) 三菱銀行駒込支店関係
<省略>
(5) 仮払金関係
<省略>
別紙六
未払金計算書
<省略>